×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
うーん、ガラカル?ガラカル(´・ω・`)
ガラカルですがカル様はこれっぽっちも喋りません。
+++
D・Sと行動を共にするようになってもう暫く経つ。
相変わらず嵐のような戦いの日々で、侵略と侵略の合間に訪れる不規則な非日常ってやつも、奴と出会う前のそれと比べれば天地ほどの差が開いている。
奴の魔力にのみ固執する魔操兵達と違い、ガラの忍者軍団は生身の人間の集団にすぎない。
熾烈さを極める戦争をあたかも日常であると勘違いしてしまいそうなほど繰り返していれば彼らの疲労は計り知れない。
ガラはD・Sが気まぐれに城を落としては気まぐれに人を殺したり、かと思えば突拍子もなく生かしたりする行為を楽しんでいた。
いくらニンジャマスターの持てる全ての技を駆使したとてD・Sの思考回路は読めないが、奴の行動は単純明快。それでいて複雑難解だ。
気に入らない人間に対してはまるで子猫が小さな小鳥へ向ける無邪気な好奇心の如く、純粋な興味と残酷な力で嬲り殺す。
理性を知らぬ子供のような純粋すぎる悪を見ているのは単純に面白かった。
ガラの見る限り、D・Sという人物は己の欲望にのみ忠実だ。抱きたい女は有無をいわさず抱く。それが他人の所有物であろうとお構いなしに奪い取る。
大半の女はD・Sの類まれな超絶美形っぷりに自ら進んで身体を差し出すし、女好きと名高いD・Sに命乞いをするため大事な娘さえ差し出す国王すら現れる始末だ。当然、D・Sは女の腰を抱きながらその父親を木っ端微塵に吹き飛ばす。D・Sとはそういう男だ。
ガラもD・S程ではないにしろ自由人だ。
ニンジャをやっているのは幼い頃からの延長線のようなものだが、それも義務や責任で続けているのではない。ニンジャとして育てられたガラにとって鍛えぬいた筋肉を駆使し暗殺を生業とするのはもはや自分の生き方であった。
今も昔もガラは己のためだけに生きているのだ。今D・Sと一緒にいるのもD・Sと馬があったというそれだけの理由にすぎない。
D・Sが自らを超絶美形主人公と自称しているのもあながち間違いではないのではないかと思う。
世界は主人公を中心にして主人公の思い通りに回っている。その世界で主人公は世界中の誰よりも美しく、強く、かっこよく、女にもてるものなのだ。
それが主人公の条件であるならば、これほど主人公をしている人間も他には存在し得ないだろう。そこがガラには面白くてしょうがない。
D・Sにはガラを含めて4人の忠実な配下がいる。
ダークハーフエルフのネイ。ガラが思いを寄せる女であり、D・Sの愛人。そして娘だ。ガラの入る隙間は髪の毛の入る隙すら存在しないだろう。それでもガラはD・Sとネイを見るのが好きだ。
縦横無尽荒唐無稽を貫くD・Sに唯一苦手意識を持たれているのが、参謀アビゲイル。長身な体躯を誇るガラにも迫る勢いの腹の底のしれない変人だ。冷静で底知れぬ知識と死人を操る死霊使いであるが、それだけにとどまらぬ変態さは彼がD・Sに付き従っていることに納得を禁じ得ない理由だろう。
そして、何故こんなところにと疑いたくなる程女みたいな……というと怒られるが、まともな、普通な人物がカルだ。
変人アビゲイルはともかく、ネイやカルがD・Sとともにいるのはガラの生まれる遙か昔からの付き合いらしい。二人共D・Sに拾われ育てられ、傍から見ると家族の分類にも思えなくはないのだが、ネイはともかくこのカルという線の細い少年──とは言えガラの曾曾曾祖父ちゃんよりも昔から生きている──の魔力は一説によるとD・S以上とも噂されている。
ガラやネイと異なりカルはどちらかと言うとアビゲイルのような参謀的立場に近い。数百年で得た深い知識や落ち着き払った身のこなし。練り上げられた高度で膨大な魔力を振るうさまはD・Sと並んでいてもまるで本当の親子のように見劣りしない。
入り込む余地のないネイや、知ろうとさえ思わないアビゲイルと違って、カルは良い意味で普通であった。
極端に反応が薄く、極端に冗談が通じず、極端に内向的で極端に頭が良いカルは、ある意味ではガラの最も苦手とするタイプだった。
至極適当に生きているガラにとってカルのような生真面目が生真面目の皮を何十にもかぶったような堅物はどちらかと言うと嫌いなタイプだ。
だが多くのつまらない人間と違い、カルの生い立ちは狂いすぎていた。又聞きでしかないのだが、母親に殺されかけて、更にその母親まで自らの手にかけてしまったという過去からか、カルは完全に人間らしい感情を失っていた。
とは言え本人は今更それを取り戻したいとも思っていないようだ。むしろ徹底的な機能美を求める嫌いがあるカルにとって思考を鈍らせる感情はむしろ足枷に過ぎず必要ないとでも言いたげだ。
ガラはそんな能面のようなカルの顔から僅かな感情の変化を見つけるのが好きだ。
ガラのご先祖様より長く生きていると言っても、見かけ上はガラよりも幼い綺麗な顔立ちの少年だ。
D・S他四天王で行う会議──という名のD・Sの独壇場──においても戦術的な内容しか饒舌に話すことのないカルを相手に、はじめは会話が返ってくることすら稀であった。
基本的に面白いことが好きで楽天的でいい加減なガラは例え会話の相手が自分の話に相槌を返してくれなくても全く気にもしない。広い城内をカルの姿を探して回る内に、カルの主な生活圏は書庫であることがわかってからは、ガラは次の遠征までの中途半端に開いた空白の時間をカルと二人で過ごすことが多くなっていた。
ガラには読むことさえ出来ない枕よりも尚厚い魔導書を読み耽るカルの横でガラが話す内容と言えば今まで倒した敵だとか、異国で食べた食べ物の話だとか、あの国はどうだこうだという話を日が暮れるまで一人でしゃべり続けていた。カルが決して相槌や反応を返さなくとも、場合によってはガラの話など全く聞く気がなかったとしてもそれはそれで構わなかった。今にして思えばカルが何も反応を返さなくても、聞いていなくても、ただ二人で埃っぽいその空間に存在していたという空気が好きだったのかもしれないとガラは思う。
カルが初めてガラの話を遮ったのは、ガラが自分の故郷について話していた時のことだった。
極東の小さな島国に関する書物は世界的に稀なものらしく、カルは自分の頭の中にないその島国の話に興味を持ったのだろう。
それからというもの、ガラは気づけばカルの興味を引きそうな話ばかりを持ち帰ってきていた。どんなに小さなことでも、くだらないことでも、カルはガラが雄弁に語る言葉に耳を傾けるようになった。
ガラほどではないにしろカルはガラと二人きりの空間で、ぽつりぽつりと小さいが良く通る声で話し始めるようにもなってきた。
話してみるとカルは今まで思っていたように真面目で、潔癖で、落ち着き払ってはいたものの、冷たい表情のわりに冷酷さはなく、むしろ随分と道義的なことに驚いた。
なにせ邪悪としか言いようがないD・Sに育てられたのだ。D・Sのある意味英才教育を受けて悪の塊に育っても何ら不自然ではない。
それでも、カルはカルなりの倫理に則って行動していることが、こうして言葉をかわすようになってからわかるようになった。
D・Sの相変わらずな虐殺行為を淡々と見つめる冷めた表情の中に僅かな揺れを垣間見れることも多くなった。それはカルの鉄面皮が緩んできたのではなく、おそらくガラの微表情を読む力がカルの無表情の中の薄い感情を読み取れるようにまで発達した成果であろう。D・Sの国を相手取った遊びの中でガラはカルの思考が必ずしもD・Sと同じ方向を向いているものばかりではないというのを分かり始めていた。
だからと言ってそれが引き金となってカルがD・Sを裏切るなどということがまずありえないということもガラは身にしみて感じ取っていた。
カルにとってD・Sというのは生きるすべてなのだ。D・Sの所業にカルの良心が揺れることはあれど、カルはカルの意志でD・Sと一緒にいる。
D・Sの思うがままに行動する、それがカルという人間の意志なのだとわかった時。最初にカルに感じた狂気はこれなのだとガラは背筋を凍らせた。
切欠が何であったかなど、ガラは既に忘れてしまっていたが、ガラはよくカルと夜を共にすることが多くなっていた。
好きとか、愛しているとか、そんな真っ当な理由で身体を重ねることになったわけではない。それは皮肉にもガラが一番良くわかっていた。
もちろん元々男色の気があったわけではない。機会さえあればネイと……と思わないわけではないし、手の届かない存在に嘆いてその手がたまたま近くにいたカルに触れたのだと、そう思い込んでもいい。
少なくともガラはベッドを共にする相手がカルであったことに後悔したことはない。他人の好意的な手をカルが振りほどけないのを知っていて付け込んだことにしても構わない。
出会った頃とはまるで別人かと見紛うほど、カルの感情は捉えやすくなっていた。傍目に無表情であったとしても、ガラの揶揄にカルの心が揺れ動く様を見るのは嬉しかった。それが自分にしか捉えられない表情であると知った時は、形容しがたい高揚感に飲み込まれた。
一見代わり映えのない表情の中にも、カルの心が浮き上がってくる。
カルが過去に捨ててきたと言う失くした心の断片が、忘れていた人間らしさが、お前にはちゃんと残っている。
それを伝える気には到底なれなかった。
こうして肌を合わせている時間はガラにとっては永遠の、カルにとっては一瞬だ。
ガラは今こんな荒れた最低の世界に生きていても、この時ばかりは幸せの一言が胸を掠めていく。
どんな世界にも、時代にも、ガラの生まれ故郷にも、この一瞬の幸せを夢見て朽ちない肉体を手に入れようと願って止まない人間がいる。
カルやD・Sのように魔力によって老いを退ける方法もあるが、不老不死の禁呪に手を出し、哀れな末路をたどった人間も世界には数多い。
永遠に老いない身体。朽ちない身体。それは人類の夢かもしれない。
しかしそれは禁じられた呪いであるとガラは思っている。
愛する人と生きることは幸せだ。
そして、愛する人を失って生きるのは耐え難い苦しみだ。
ガラにとって死とは別れだ。死んだ人間は戻ってこない。幾多の死地を乗り越えて来たガラは、死者が生前と何ら変わらぬ姿で戻って来たのを見たことがない。
身体だけ現世に縛られても、魂はもう自分の知っているその誰かではない。
魂が残っても、身体という目に見える器がなければ人間はそれらを認識することさえできない。
ガラはどんなに忍術を駆使して存命しても、いずれは肉体を失ってしまう人間だ。
ガラが命を落とす時、カルは側にいるだろう。今と何ら変わらない姿のままで、変わっていくガラをその蒼い瞳に映すだろう。
不意に考えてしまう。
カルはどんな顔をするだろうか。
他人の死など飽きるほど目にしているカルのことだ。いつものように淡々とした様子で、ガラを見送るかもしれない。
ひょっとすると哀しみに眉根くらいは動かしてくれるだろうか。
笑顔で見送ってくれることは……カルの笑顔を想像して、そんな顔が見れたら自分はきっと飛び起きてカルの肩を揺さぶってしまうかもしれないなとガラは何だか可笑しくなった。
ベッドの中で自分の死ぬ瞬間のことを考えるなど、自分もD・Sやカル達のように狂った奴らの仲間なんだなとガラは無理矢理腕の中に抱き寄せたカルの銀色の頭を見ながら笑みを刻む。
D・Sと一緒に無茶をすることは楽しいし、そんな楽しいことを見届けないまま死ぬのは死んでも死に切れないだろうし、もしD・Sと一緒にいて自分が死んでしまってもそれはそれで仕方がないことだと思っている。
結局はなるようにしかならないし、死ぬ時は死ぬ。そんな終りの瞬間の足音が聞こえても、自分は恐らく怖がる素振りすら見せないだろうが、その実、今この瞬間にも死を受け入れる覚悟が出来ているのだろう。
当分死ぬ気はないし死ぬ覚悟もとうの昔に出来てしまっているが、ただ一つだけ思い通りになることがあるとするならば……その瞬間にはたった一人でいられたら良い。
静かに微睡んで行くガラの腕の中で、カルの蒼い瞳が僅かに揺れた気がした。
■ ふしあわせ ■
+++
念のため、最後のはタイトルです。
不死と不幸せと掛けたかった(´∀`)
不老不死は人類の夢的な話が多いけど片方しかなれなかったら残された方は辛いですよねってことから。
この切り口だと最初は遊ジャで「俺はお前と共に生き、共に死ねるのが嬉しい」的な内容にしようかなーと思ってたんですが、いやデュエルの世界で死ぬことにそんななんないよね、ってことと遊ジャの世界観に合わなかったこと。
どうせなら人外と人間でやりたいと思ってソルカイかガラカルか悩んでガラカルに。
ガラの心情描写ばかりでしかもセリフ「」が皆無ですが、内面を書きたい時はこういうセリフ会話皆無な文章をよく書いてしまうわたくし。
実際のガラはこんなにgdgd考えてないと思う。カルとヤる(※二次創作妄想)のだってちょっと顔がよくて体目当てなだけとか十分ありえそうだしなw
ちなみに今更ですがD・Sと書いてダーク・シュナイダーと読みます。いつもは ・←これ打つのが面倒くさくてだいたいDSって打っちゃう(´∀`)
原作でもげたガラの腕がくっついちゃうのもハギーいわく忍術☆らしいからガラぴょんはそんな死ぬ心配しないでも良いかもしれないというかバスタの原作で四天王には死んで欲しくないので何だかんだ完結する日が来れば皆ハッピーエンドになってほしいなあと思いつつバスタードを楽しみにまってます。
人類の半分はDSが幸福絶頂にするとして残り半分はカル様が引き受けてくれるよきっと(^q^)
ガラのあのひょうひょうとして憎めない感じのくだけた下世話で下品でお調子者の口調がこれっぽっちも描写できなくてすみませんでした三 (lll´ⅴ`)
ガラカルですがカル様はこれっぽっちも喋りません。
+++
D・Sと行動を共にするようになってもう暫く経つ。
相変わらず嵐のような戦いの日々で、侵略と侵略の合間に訪れる不規則な非日常ってやつも、奴と出会う前のそれと比べれば天地ほどの差が開いている。
奴の魔力にのみ固執する魔操兵達と違い、ガラの忍者軍団は生身の人間の集団にすぎない。
熾烈さを極める戦争をあたかも日常であると勘違いしてしまいそうなほど繰り返していれば彼らの疲労は計り知れない。
ガラはD・Sが気まぐれに城を落としては気まぐれに人を殺したり、かと思えば突拍子もなく生かしたりする行為を楽しんでいた。
いくらニンジャマスターの持てる全ての技を駆使したとてD・Sの思考回路は読めないが、奴の行動は単純明快。それでいて複雑難解だ。
気に入らない人間に対してはまるで子猫が小さな小鳥へ向ける無邪気な好奇心の如く、純粋な興味と残酷な力で嬲り殺す。
理性を知らぬ子供のような純粋すぎる悪を見ているのは単純に面白かった。
ガラの見る限り、D・Sという人物は己の欲望にのみ忠実だ。抱きたい女は有無をいわさず抱く。それが他人の所有物であろうとお構いなしに奪い取る。
大半の女はD・Sの類まれな超絶美形っぷりに自ら進んで身体を差し出すし、女好きと名高いD・Sに命乞いをするため大事な娘さえ差し出す国王すら現れる始末だ。当然、D・Sは女の腰を抱きながらその父親を木っ端微塵に吹き飛ばす。D・Sとはそういう男だ。
ガラもD・S程ではないにしろ自由人だ。
ニンジャをやっているのは幼い頃からの延長線のようなものだが、それも義務や責任で続けているのではない。ニンジャとして育てられたガラにとって鍛えぬいた筋肉を駆使し暗殺を生業とするのはもはや自分の生き方であった。
今も昔もガラは己のためだけに生きているのだ。今D・Sと一緒にいるのもD・Sと馬があったというそれだけの理由にすぎない。
D・Sが自らを超絶美形主人公と自称しているのもあながち間違いではないのではないかと思う。
世界は主人公を中心にして主人公の思い通りに回っている。その世界で主人公は世界中の誰よりも美しく、強く、かっこよく、女にもてるものなのだ。
それが主人公の条件であるならば、これほど主人公をしている人間も他には存在し得ないだろう。そこがガラには面白くてしょうがない。
D・Sにはガラを含めて4人の忠実な配下がいる。
ダークハーフエルフのネイ。ガラが思いを寄せる女であり、D・Sの愛人。そして娘だ。ガラの入る隙間は髪の毛の入る隙すら存在しないだろう。それでもガラはD・Sとネイを見るのが好きだ。
縦横無尽荒唐無稽を貫くD・Sに唯一苦手意識を持たれているのが、参謀アビゲイル。長身な体躯を誇るガラにも迫る勢いの腹の底のしれない変人だ。冷静で底知れぬ知識と死人を操る死霊使いであるが、それだけにとどまらぬ変態さは彼がD・Sに付き従っていることに納得を禁じ得ない理由だろう。
そして、何故こんなところにと疑いたくなる程女みたいな……というと怒られるが、まともな、普通な人物がカルだ。
変人アビゲイルはともかく、ネイやカルがD・Sとともにいるのはガラの生まれる遙か昔からの付き合いらしい。二人共D・Sに拾われ育てられ、傍から見ると家族の分類にも思えなくはないのだが、ネイはともかくこのカルという線の細い少年──とは言えガラの曾曾曾祖父ちゃんよりも昔から生きている──の魔力は一説によるとD・S以上とも噂されている。
ガラやネイと異なりカルはどちらかと言うとアビゲイルのような参謀的立場に近い。数百年で得た深い知識や落ち着き払った身のこなし。練り上げられた高度で膨大な魔力を振るうさまはD・Sと並んでいてもまるで本当の親子のように見劣りしない。
入り込む余地のないネイや、知ろうとさえ思わないアビゲイルと違って、カルは良い意味で普通であった。
極端に反応が薄く、極端に冗談が通じず、極端に内向的で極端に頭が良いカルは、ある意味ではガラの最も苦手とするタイプだった。
至極適当に生きているガラにとってカルのような生真面目が生真面目の皮を何十にもかぶったような堅物はどちらかと言うと嫌いなタイプだ。
だが多くのつまらない人間と違い、カルの生い立ちは狂いすぎていた。又聞きでしかないのだが、母親に殺されかけて、更にその母親まで自らの手にかけてしまったという過去からか、カルは完全に人間らしい感情を失っていた。
とは言え本人は今更それを取り戻したいとも思っていないようだ。むしろ徹底的な機能美を求める嫌いがあるカルにとって思考を鈍らせる感情はむしろ足枷に過ぎず必要ないとでも言いたげだ。
ガラはそんな能面のようなカルの顔から僅かな感情の変化を見つけるのが好きだ。
ガラのご先祖様より長く生きていると言っても、見かけ上はガラよりも幼い綺麗な顔立ちの少年だ。
D・S他四天王で行う会議──という名のD・Sの独壇場──においても戦術的な内容しか饒舌に話すことのないカルを相手に、はじめは会話が返ってくることすら稀であった。
基本的に面白いことが好きで楽天的でいい加減なガラは例え会話の相手が自分の話に相槌を返してくれなくても全く気にもしない。広い城内をカルの姿を探して回る内に、カルの主な生活圏は書庫であることがわかってからは、ガラは次の遠征までの中途半端に開いた空白の時間をカルと二人で過ごすことが多くなっていた。
ガラには読むことさえ出来ない枕よりも尚厚い魔導書を読み耽るカルの横でガラが話す内容と言えば今まで倒した敵だとか、異国で食べた食べ物の話だとか、あの国はどうだこうだという話を日が暮れるまで一人でしゃべり続けていた。カルが決して相槌や反応を返さなくとも、場合によってはガラの話など全く聞く気がなかったとしてもそれはそれで構わなかった。今にして思えばカルが何も反応を返さなくても、聞いていなくても、ただ二人で埃っぽいその空間に存在していたという空気が好きだったのかもしれないとガラは思う。
カルが初めてガラの話を遮ったのは、ガラが自分の故郷について話していた時のことだった。
極東の小さな島国に関する書物は世界的に稀なものらしく、カルは自分の頭の中にないその島国の話に興味を持ったのだろう。
それからというもの、ガラは気づけばカルの興味を引きそうな話ばかりを持ち帰ってきていた。どんなに小さなことでも、くだらないことでも、カルはガラが雄弁に語る言葉に耳を傾けるようになった。
ガラほどではないにしろカルはガラと二人きりの空間で、ぽつりぽつりと小さいが良く通る声で話し始めるようにもなってきた。
話してみるとカルは今まで思っていたように真面目で、潔癖で、落ち着き払ってはいたものの、冷たい表情のわりに冷酷さはなく、むしろ随分と道義的なことに驚いた。
なにせ邪悪としか言いようがないD・Sに育てられたのだ。D・Sのある意味英才教育を受けて悪の塊に育っても何ら不自然ではない。
それでも、カルはカルなりの倫理に則って行動していることが、こうして言葉をかわすようになってからわかるようになった。
D・Sの相変わらずな虐殺行為を淡々と見つめる冷めた表情の中に僅かな揺れを垣間見れることも多くなった。それはカルの鉄面皮が緩んできたのではなく、おそらくガラの微表情を読む力がカルの無表情の中の薄い感情を読み取れるようにまで発達した成果であろう。D・Sの国を相手取った遊びの中でガラはカルの思考が必ずしもD・Sと同じ方向を向いているものばかりではないというのを分かり始めていた。
だからと言ってそれが引き金となってカルがD・Sを裏切るなどということがまずありえないということもガラは身にしみて感じ取っていた。
カルにとってD・Sというのは生きるすべてなのだ。D・Sの所業にカルの良心が揺れることはあれど、カルはカルの意志でD・Sと一緒にいる。
D・Sの思うがままに行動する、それがカルという人間の意志なのだとわかった時。最初にカルに感じた狂気はこれなのだとガラは背筋を凍らせた。
切欠が何であったかなど、ガラは既に忘れてしまっていたが、ガラはよくカルと夜を共にすることが多くなっていた。
好きとか、愛しているとか、そんな真っ当な理由で身体を重ねることになったわけではない。それは皮肉にもガラが一番良くわかっていた。
もちろん元々男色の気があったわけではない。機会さえあればネイと……と思わないわけではないし、手の届かない存在に嘆いてその手がたまたま近くにいたカルに触れたのだと、そう思い込んでもいい。
少なくともガラはベッドを共にする相手がカルであったことに後悔したことはない。他人の好意的な手をカルが振りほどけないのを知っていて付け込んだことにしても構わない。
出会った頃とはまるで別人かと見紛うほど、カルの感情は捉えやすくなっていた。傍目に無表情であったとしても、ガラの揶揄にカルの心が揺れ動く様を見るのは嬉しかった。それが自分にしか捉えられない表情であると知った時は、形容しがたい高揚感に飲み込まれた。
一見代わり映えのない表情の中にも、カルの心が浮き上がってくる。
カルが過去に捨ててきたと言う失くした心の断片が、忘れていた人間らしさが、お前にはちゃんと残っている。
それを伝える気には到底なれなかった。
こうして肌を合わせている時間はガラにとっては永遠の、カルにとっては一瞬だ。
ガラは今こんな荒れた最低の世界に生きていても、この時ばかりは幸せの一言が胸を掠めていく。
どんな世界にも、時代にも、ガラの生まれ故郷にも、この一瞬の幸せを夢見て朽ちない肉体を手に入れようと願って止まない人間がいる。
カルやD・Sのように魔力によって老いを退ける方法もあるが、不老不死の禁呪に手を出し、哀れな末路をたどった人間も世界には数多い。
永遠に老いない身体。朽ちない身体。それは人類の夢かもしれない。
しかしそれは禁じられた呪いであるとガラは思っている。
愛する人と生きることは幸せだ。
そして、愛する人を失って生きるのは耐え難い苦しみだ。
ガラにとって死とは別れだ。死んだ人間は戻ってこない。幾多の死地を乗り越えて来たガラは、死者が生前と何ら変わらぬ姿で戻って来たのを見たことがない。
身体だけ現世に縛られても、魂はもう自分の知っているその誰かではない。
魂が残っても、身体という目に見える器がなければ人間はそれらを認識することさえできない。
ガラはどんなに忍術を駆使して存命しても、いずれは肉体を失ってしまう人間だ。
ガラが命を落とす時、カルは側にいるだろう。今と何ら変わらない姿のままで、変わっていくガラをその蒼い瞳に映すだろう。
不意に考えてしまう。
カルはどんな顔をするだろうか。
他人の死など飽きるほど目にしているカルのことだ。いつものように淡々とした様子で、ガラを見送るかもしれない。
ひょっとすると哀しみに眉根くらいは動かしてくれるだろうか。
笑顔で見送ってくれることは……カルの笑顔を想像して、そんな顔が見れたら自分はきっと飛び起きてカルの肩を揺さぶってしまうかもしれないなとガラは何だか可笑しくなった。
ベッドの中で自分の死ぬ瞬間のことを考えるなど、自分もD・Sやカル達のように狂った奴らの仲間なんだなとガラは無理矢理腕の中に抱き寄せたカルの銀色の頭を見ながら笑みを刻む。
D・Sと一緒に無茶をすることは楽しいし、そんな楽しいことを見届けないまま死ぬのは死んでも死に切れないだろうし、もしD・Sと一緒にいて自分が死んでしまってもそれはそれで仕方がないことだと思っている。
結局はなるようにしかならないし、死ぬ時は死ぬ。そんな終りの瞬間の足音が聞こえても、自分は恐らく怖がる素振りすら見せないだろうが、その実、今この瞬間にも死を受け入れる覚悟が出来ているのだろう。
当分死ぬ気はないし死ぬ覚悟もとうの昔に出来てしまっているが、ただ一つだけ思い通りになることがあるとするならば……その瞬間にはたった一人でいられたら良い。
静かに微睡んで行くガラの腕の中で、カルの蒼い瞳が僅かに揺れた気がした。
■ ふしあわせ ■
+++
念のため、最後のはタイトルです。
不死と不幸せと掛けたかった(´∀`)
不老不死は人類の夢的な話が多いけど片方しかなれなかったら残された方は辛いですよねってことから。
この切り口だと最初は遊ジャで「俺はお前と共に生き、共に死ねるのが嬉しい」的な内容にしようかなーと思ってたんですが、いやデュエルの世界で死ぬことにそんななんないよね、ってことと遊ジャの世界観に合わなかったこと。
どうせなら人外と人間でやりたいと思ってソルカイかガラカルか悩んでガラカルに。
ガラの心情描写ばかりでしかもセリフ「」が皆無ですが、内面を書きたい時はこういうセリフ会話皆無な文章をよく書いてしまうわたくし。
実際のガラはこんなにgdgd考えてないと思う。カルとヤる(※二次創作妄想)のだってちょっと顔がよくて体目当てなだけとか十分ありえそうだしなw
ちなみに今更ですがD・Sと書いてダーク・シュナイダーと読みます。いつもは ・←これ打つのが面倒くさくてだいたいDSって打っちゃう(´∀`)
原作でもげたガラの腕がくっついちゃうのもハギーいわく忍術☆らしいからガラぴょんはそんな死ぬ心配しないでも良いかもしれないというかバスタの原作で四天王には死んで欲しくないので何だかんだ完結する日が来れば皆ハッピーエンドになってほしいなあと思いつつバスタードを楽しみにまってます。
人類の半分はDSが幸福絶頂にするとして残り半分はカル様が引き受けてくれるよきっと(^q^)
ガラのあのひょうひょうとして憎めない感じのくだけた下世話で下品でお調子者の口調がこれっぽっちも描写できなくてすみませんでした三 (lll´ⅴ`)
PR
Comment