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誰得完全自己満足ごっずパラレル設定な風馬とおきつねジャックの続きです。
3話目です。
何度も言ってるように、風馬さんには申し訳ないことをしたと思うんだ。
全力でスライディング土下座。
裏ではないかもしれないけど気持ち注意な感じで。
+++
とても気持ちの良い夢を見ていたような気がする。
艶めいた金糸がさらさらと揺れる度、ふわりと甘い香りが鼻孔を掠めて行く。
鼻先が触れ合うほど近くで見た美しい双眸は、黄昏時の紺碧と斜陽の双方が織り交ざったような不思議な色をしていて。
しゃらん…。と小さな音を立てながら戯れのように近づいては、またすぐに風馬から離れていく。
寄せては返す波のようにするりと流れるその煌きに触れてみたくて、風馬はそっと手を伸ばした。
「待……っ…」
気がつくと、まだ陽の上りきらない薄明るい中で風馬の腕は天井に向かい虚しく空を掴んでいた。
夢と現の境界をふらふらしていたせいなのか、直前までの記憶が嫌に鮮明に脳裏に焼き付いている。
掴んだ掌の頼りない虚無感を確かめてあれは現実ではなかったのだと思い至った途端、風馬は安堵とほんの少しの喪失感に息を吐いた。
「なんだ…夢、か……」
昨夜の寝苦しさは嘘のように一変、ひんやりとした冷気が覆う窓の外からは小鳥の囀りが聞こえている。
少し冷たい早朝の空気は眠気覚ましに丁度良い。
早起きは三文の得と言うし、久しぶりに良い夢を見れたこともあって気分はすっきりとしていた。
それにしても肌寒い。
まだ梅雨明け前で夏には程遠いとは言え、子供のように腹を出して寝ていたわけでもないのに腰のあたりがスースしている。
何となく気になって腹部に手を伸ばしたところで、風馬は驚きのあまり飛び上がりそうになった。
「…って、うわあ!!」
情けない叫び声を上げながら慌てて布団を引っ剥がす。
ズボンが…しかも下着ごと、元々あるべき位置から離れたところにまでずり落ちていたのだ。
たかだか数センチ違うだけで本来の機能から考えればそれはもう何の意味も成さない位置である。
「…な、なんで……??」
とりあえずズボンと下着を引っ張り上げて身を起こした風馬の視界を更に驚くべき光景が襲った。
「だ…誰?」
風馬と同じ布団で、見たこともない子供が背中を丸めて気持ち良さそうにすぅすぅと寝息を立てているのだ。
その子供は白い小袖に目の覚めるような緋袴を履いていた。
神社などで巫女が着ているような…まさしくあの出で立ちである。
どうすることも出来ず固まっていた風馬の気配に気づいたのか、子供が小さく寝返りを打つ。
「ん……」
身じろぎと同時に、髪飾りに付いている鈴がしゃらん…と小さな音を立てた。
鈴の音を切掛に金色の睫毛がふるりと揺れる。
ゆっくりと現れた宝石のように輝く大きな瞳が捉えたのは、自分を覗き込むようにしていた風馬の姿だった。
「……おお、起きたのだな風馬」
「えっ?…な、…なんで俺の名前を…」
動揺する風馬を余所にその子供は欠伸をしながら「ん~っ」と背筋を伸ばすと、神秘的な色をした目を瞬かせて風馬の顔を見上げた。
「なんでって……貴様昨日のことを覚えておらんのか」
「え…昨日?」
子供らしからぬ口調のそれに問い掛けられたものの、身に覚えがない。
考え込む風馬を見て子供は「あぁ」と声を漏らした。
「そうか貴様寝ていたな。…まぁ良い。昨夜のこと、一応礼を言っておこう」
子供は一人で勝手に自己解決したようで風馬の思考はおいてけぼりだ。
ぺらぺらと良く喋る子供の剣幕に押され、ただ瞬きを繰り返す風馬に子供は突然人が変わったような妖艶な笑みを浮かべた。
「…しかし随分としてなかったのか、貴様のは思いの外濃くて美味かったぞ。あれではさぞや気持ち良かっただろう?…お陰でオレも少し力が戻ったが…まぁ、会話が出来るようになっただけでもよしとしてやる」
小さな口が満足げに弧を描く。だが風馬は瞬間背筋が凍りついた。
直接的な表現は何一つしていないが…もしかすると下半身の奇妙な状態は目の前の子供が関わっているのではないだろうか。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「なんだ今更。飲んでしまったものを返せと言われても今さら返せんぞ。疲労感はあるだろうが、貴様も気持ち良くしてやったではないか」
「飲んだ…!?」
年端も行かぬ子供が目の前で淡々と子供らしからぬ単語を連発する異様な状況に風馬は目眩を覚えた。
最悪だ、よく覚えていないがどうやら自分は無意識の内にこんないたいけな子供と関係を持ってしまったらしい。
どうしたわけか子供に主導権を握られていたような口ぶりだが、目の前にいる姿はとても成人とは思えない。ことに及んでしまった時点で完全にアウトである。
「俺はなんてことをしてしまったんだ…」
「反応の面白いやつだな。気に入ったぞ」
打ちひしがれる風馬の様子が珍しかったのか、金髪の子供はにたにたと性質の悪い…それでいて見かけによらぬ艶やかな笑みを浮かべている。
「そう言えば昨日社に来ていたな。何か願いがあるならオレが手を貸してやらんこともないぞ?」
「え?……社、…願い…?」
何のことだか思い当たらず、風馬は目の前で誇らしげにふんぞり返る子供を見下ろした。
昨日と言ったが俺は昨日こんな子供に会った覚えはない。
金髪に紫の瞳なんて目立つ風貌の知り合いがいたら直ぐに思い出しているはずだ。
だが先程の物言いからすると、向こうは風馬のことを知っているようだった。
罪悪感から無意識の内に視線を反らしていた子供の様子をちらりと窺う。
子供ながらもキラキラと金色に輝く美しい髪の毛。
整えたかのようにさらりと後ろに流された髪の流れの中でも一際目立つ大きな三角形の耳は、時折ぴくんと音を拾うかのように揺れている。
……み、耳!?
風馬は見間違いかと起き抜けの眼を擦った。
確かに耳だった。ぴんと立った三角のそれに見覚えがあると思い出していると、朱色と白色のよく見る巫女姿に身を包んだその背後にふさふさとした黄金色の大きな何かが楽しげに揺れていた。
それは、どう見ても狐の尻尾で。
振り返って見れば唯一室内に存在した風馬以外のものの姿はなく、昨日設えた寝床は藻抜けの殻である。
まさかと信じられない面持ちで風馬は口を開いた。
「……まさかとは思うけど、昨日の狐…?」
「狐ではない。稲荷だ!」
ふん!と腰に手をあて威張る姿はなんだか可愛らしい。
こんな時に不謹慎だろうが、風馬は少し和んでしまった。
稲荷神社というのは名前の通り稲荷神を祀っている神社である。
狐ではなく稲荷だと言うからには、相当位の高い神様なのだろう。なんたって神社の名前になっているくらいだ。
そう考えれば、どこか人を見下したような子供らしからぬ尊大な態度にも納得が行く。
「えーと、稲荷ってことはもしかして、神様…とか…?」
「もしかしてとは何だ!……まあいい…。お前には助けて貰った借りもあるし、今回だけ特別に許してやろう」
なかなかに喜怒哀楽の激しい神様である。口は悪いが根は正直なようだ。
先程の感じから推察するに、目の前の神様はかなり気まぐれなようである。
外見年齢は10歳にも満たない子供にしか見えないものの、もしかすると精神的にも似たような物なのだろうかと、声には出さずそんな考えがよぎる。
実際口に出すなどという愚行に走る風馬ではなかった。
「オレはジャックだ」
ジャック…。身形は完全に和装なのになんだかえらく洋風な名前だ。
「ジャックか。俺は風馬……って、もう知ってるんだっけな」
目が覚めてすぐにジャックが言っていた、「昨夜」のことを風馬は覚えていない。
それでも記憶に無いだけで恐らくジャックの言葉は真実であろうことも何となく理解できた。
明け方に見た不思議な夢のことも、それで説明がつくかもしれない。
ジャックの金色の髪の毛と、しゃらん。と鳴るあの鈴の音には思い当たる節が山ほどあった。
待てよ…?
そうすると……どうなるんだ?
人間の子供だったら間違いなく風馬は晴れて犯罪者の仲間入りになること間違いなしだが、ジャックは人間ではない。
見た目はどう見てもコスプレした小さな子供ではあるが、神様だ。
もちろん神様相手なら何をしても良いというわけではないのではあるが…。
風馬は頭を抱えた。
「なんだ、まだ悩んでおるのか」
「え」
ぎくり、と風馬は硬直した。
「…も、もしかして頭で考えたことが分かったりするの…?」
だらだらと嫌な汗が流れる。
青ざめていく風馬を一瞥して、ジャックはふぅ、と溜め息を吐いた。
「そんな馬鹿なことがあるものか。貴様の顔を見れば嫌でもわかる」
いくら神様とは言え、そう簡単に頭の中のことまで覗けてたまるか。と言った様子でジャックはうんざりとしているようだ。
神社へお参りに来た人間の煩悩が四六時中聞こえていては安らぐ暇がないだろう!と話すジャックに、それが神様の仕事じゃないのかとは怖くて言えない雰囲気である。
「言っておくが、アレはオレにとって食事みたいなものだ。お前がそこまで気に病むようなことではない」
それもあんまりな言われようである。
「そもそもオレは神様なのだぞ。人間が神に奉仕するのは当然だろう」
「…奉仕…」
そう言って貰えると風馬にとっては有難かったものの、何故だろう。
風馬は自分の中で大事なものが傷ついた気がして微妙な気持ちになった。
さり気なく話題を変更することにしよう。幸いにも、聞きたいことは山積みだ。
「あ、そうだ…!昨日の傷は大丈夫か?」
「あぁ…これか?」
ジャックは袖を捲ると、昨日の夜風馬が包帯を巻いた箇所を見せた。
丁寧に巻かれた白い包帯をしゅるしゅると解いていく。
包帯を取り去ると、その下からはまるで何事もなかったかのように綺麗な白い腕が現れた。
「傷跡が…無くなってる…」
「当然だ。力さえあればこの程度のこと造作もないわ」
神様だとは聞いていたものの、まだどこか半信半疑だった風馬はその力をまざまざと見せつけられて素直に感動した。
「まだこんなに小さいのに、凄いんだなジャックは」
「な…っ、小さいのには余計だ!こう見えてもオレはお前よりもずっと年上なのだからな!凄いに決まっている!」
威張ってはいても何だかんだで賞賛の言葉に素直に喜ぶジャックの様子はどこか微笑ましい。
年上だと言われたところで、ジャックの見た目は完全に小さな子供のそれなのだから仕方がないと思う。
もしかすると、神様なのだから本当に何百歳だったりするのかもしれない。
それでも風馬は年の離れた弟が出来たみたいで何だか少し嬉しくなった。
「う゛~…!その顔は信じておらん顔だな…っ。子供扱いしおって…!」
「ごめんごめん。ジャックが凄いってのはわかってるつもりだよ」
すっかり臍を曲げてしまったジャックの機嫌を取るように優しく頭を撫でながら、風馬はふと思い浮かんだ疑問を投げかけてみる。
「なあ。ジャックは昨日の稲荷神社の神様なんだよな?」
「ん?そうだぞ」
それがどうしたと言わんばかりにジャックは小首を傾げた。
「稲荷神社に神様がいないっていうのは不味いんじゃないのか?」
ギクリとジャックの身体が強張る。
やはり何か不都合があったのだろうと風馬は苦笑をもらした。
元々怪我をした狐を放っておけなかっただけで、治ったら居るべき場所へ送り届けるつもりだったのだ。
ジャックがその場所へ帰らなければいけないのなら尚更である。
「じゃあ稲荷神社まで送って行くよ」
そんな風馬と対照的に、ジャックはさっきまでの尊大な態度はどこへやら、顔を曇らせてそわそわと視線を彷徨わせていた。
「ジャック…?」
「どうしよう…オレは、あそこから離れるなと言われていたんだった…」
風馬が考えていた以上に事態は深刻だったらしく、その事実がよほどショックだったのだろう。
すっかり萎縮してぺたりとしたジャックの耳が目に留まり、風馬は見るに堪えなくなって気がついた時にはジャックの小さい身体を抱きしめていた。
「か、風馬…?」
「……ごめんなジャック、俺が考えなしにこんなところへ連れて来たから…」
「な、何を言うのだ!お前はオレを助けてくれたではないか。お前のせいではない」
風馬の胸板に顔を埋める形になり、ジャックは酷く狼狽した。
気恥ずかしいようなくすぐったいような。でもどこか満たされるような感覚にぎゅっと風馬の服を握り締める。
「大丈夫だ。事情を説明して謝れば……きっと、許してくれる」
「本当に…?」
「信用できる奴だ」
「わかった。その時は俺からも説明させてくれ」
宥めるようにぽんぽんと背中を叩くと「子ども扱いするな!」と怒られたがそんなことで風馬が怯むはずも無く、ジャックは諦めたのか大人しく風馬のしたいようにさせていた。
艶の良い髪の毛を撫でる風馬の大きな手の温もりが心地良い。
ジャックがすっかり落ち着いたのを確認したところで、風馬は昨日ろくに食べていなかったことを思い出した。
「…と、その前に。ちゃんと朝飯食べないとな」
「おぉ!丁度オレも腹が減っていたところなのだ!」
よっぽどお腹が空いているのだろう。ジャックは見事な金色の尻尾をはたはたと揺らしながら、きらきらと期待に満ちた紫色の瞳を輝かせた。
何ともくるくると目まぐるしく表情の変わるお稲荷様である。
「昨日は何も食べさせてあげられなかったから、こうしてジャックと話が出来るようになって嬉しいよ」
正直言葉が通じるようになって誰よりも助かっているのは自分かもしれないな、と風馬は苦笑しながら冷蔵庫の扉を開いて──そして硬直した。
「どうしたのだ風馬?」
「いや…その…」
忘れていた。冷蔵庫の中には自炊出来そうな食材が殆ど無かったのだ。
唯一食べられそうなものと言えば、先日特売で箱買いした即席ラーメンのみという残念すぎる有様である。
自分のことながらあまりの不甲斐なさに項垂れていると、肩口からひょこりと覗き込んできたジャックが風馬の手の中にある物を指して尋ねた。
「風馬、その箱はなんだ?」
「え、これ?カップラーメンだけど」
予想はしていたものの、やはりこういうものに馴染みがないのだろうか。
興味深げに眺めてくるジャックにカップ麺を一つ手渡してみる。
ジャックは容器を隅々まで調べた結果……やはりそれが何かは分からなかったようだ。
「…この箱を食べるのか?…匂いも変だし固いし、あまり美味く無さそうだぞ」
「あ、いや。これは……」
そう言って風馬はカップ麺の蓋をペリペリと剥がし、キッチンにあるポットの湯を注ぎ始めた。
「こうやってお湯を入れて…。3分待つと食べられるんだ」
湯気の立ち上るカップの蓋を閉め、その上に箸を置いて重しにする。
カップラーメンの容器をテーブルに置くと、風馬はジャックに席に着くよう勧めた。
言われるままにテーブルに着いたジャックの丁度目の前に先程の容器が置いてある。
ジャックは頬杖をつきながら、薄い湯気を立ち上らせるそれを退屈そうに眺めていた。
「なにやら面倒な食べ物だな、カップラーメンというのは」
「そんなことないぜ?」
ジャックの不満は想定内だったのか、風馬はにこにこと笑みを浮かべたまま言った。
「時間が無い時とか、何も無い時なんかはこうやってお湯を注いで待ってれば簡単に食べられるんだし」
「……時間がないのに3分も待たねばならんのか?」
もう一つ自分の分を用意した風馬もジャックと向かい合うようにテーブルに着いた。
「まぁ、3分位ならあっという間だしな」
麺が伸びすぎないようにタイマーをセットし終えると、風馬は目の前の不貞腐れた小さな神様が退屈で癇癪を起こさないうちに話題を振った。
「ところで、どうしてあんなところで倒れていたんだ?」
ヒクン、とジャックの肩が跳ねる。
「…話すと長いんだが……」
「うん?」
「オレの魂とも呼べる大事なしもべが、いなくなってしまったのだ」
感情が耳に現れやすいのだろう。しゅんとした耳を見ただけでも相当落ち込んでいるのが伝わってきた。
強がってはいるが、ともすれば今にも泣き出してしまいそうなジャックに風馬は胸が痛む。
話によるとジャックは本来の強大な力を数十枚のカードとして封じ、力を分散させているらしい。
その中でも力の大部分を有しているのが、いなくなったという赤い龍のカード。
龍の姿が見えるのはジャックのように力のある者だけで、傍目に見るとただのカードにしか見えないと言うのだ。
実際に今手持ちのカードを見せてもらったが、やはりジャックの言うように風馬には何の変哲もないカードにしか見えない物だった。
「レッドデーモンズ……」
ぽつりとジャックが呟く。恐らくはそのカードの名前なのだろう。
単に力を封じたものというだけではなく、それぞれが姿形の異なる式神のようなものらしかった。
「いなくなったのに気づいて探しているうちに雨が降って来て、動けなくなってからは……知っての通りだ」
「そうか…。俺が見つけるまでジャックが神社の敷地から出ていないとなると、絶対あの周りにあるはずだよな。大丈夫、必ず見つかるさ」
「そう、だな…うむ。風馬の言う通りだな!」
風馬なりにジャックのことを心配して掛けてくれた言葉なのだと言うことは、短い付き合いだがジャックにもわかる。
本当ならばいくら力を失って狐の姿にまで退化してしまったとしても人間に姿を見られるべきではなかったのだ。
ましてやあの雨の中、見ず知らずの人間が差し伸べた手に縋るなど。いつものジャックであればまず考えられない。
神域から離れてはいけない。そんな初歩的な掟さえ忘れてしまうほどに、風馬という人間に興味を引かれたのは疑いようが無かった。
風馬が連れ出したのではない。ジャックが自ら望んで社を離れた。それだけのことだ。
ただ一つ気がかりなのはレッドデーモンズドラゴンのこと。
ジャックのしもべであり、ジャック自身とも言えるカードの行方だけが、今になってジャックに後悔という言葉を突きつけていた。
ピピピ。と鳴り響くアラームを止めると、風馬はジャックと自分のカップの蓋を剥がし取る。
「もう良いのか?」
「ああ。だけど、熱いから気をつけてな」
蓋が剥がされると、熱い蒸気がふわりと周囲に舞った。
熱気と共に漂ってきた食欲をそそる匂いに、ジャックの耳がぴくんと震える。
「な、…なんなのだ、この美味そうな匂いは……!」
「だから言っただろ?簡単なのにこれが結構美味いんだぜ」
いただきます…と言いかけたところで、風馬は「あ。」と声を出した。
「もしかしてフォークの方が良かったかな」
扱い慣れない2本の棒と格闘するジャックが目に止まり、風馬は「ちょっと待ってて」と引き出しからフォークを取ってきてジャックに渡した。
「ぐ…っ…別に、箸が使えないわけじゃないんだぞ!…ただ、その…体が小さくなってて上手く動かせないのだ…!」
「大丈夫、わかってるよ。今日のところはそれを使うと良い。熱いから火傷しないようにな?ふーふーするんだぞ?」
「…う、うるさい…!放っておけっ」
あれこれ反抗するくせに、結局風馬の言った通りふーふーと息を吹きかけるジャックはやっぱり可愛い弟に思えてしまう。
ジャックが麺を口にするのを待って、風馬は声を掛けた。
「どう?美味しい?」
「…………」
ぴたりとフォークを持ったジャックの腕が止まった。
ぷるぷると小刻みに震え始めたジャックにぎょっとして顔を覗き込んだ風馬の予想は、しかし大きく裏切られることになる。
「美味い…!お揚げの次に…いや、お揚げと同じくらい美味いぞ風馬!」
よっぽど気に入ったのか、夢中になって食べているジャックを見ているだけで風馬の顔も自然と綻ぶ。
やはりジャックには笑った顔が良く似合う。
これを食べ終えたら、直ぐにでもジャックと神社に向かおう。
昨日の大雨が嘘のように、今日は朝からすっきりとした晴天の気配に包まれていた。
開いた窓から流れこんでくる爽やかな風には、昨日までのようなじっとりとした湿度は感じられない。
梅雨が明けて夏が訪れるのもそう遠い日のことではないかもしれない。
晴れ渡る夏空に思いを馳せながら、風馬は少しだけ冷めかけた麺を啜った。
3話目です。
何度も言ってるように、風馬さんには申し訳ないことをしたと思うんだ。
全力でスライディング土下座。
裏ではないかもしれないけど気持ち注意な感じで。
+++
とても気持ちの良い夢を見ていたような気がする。
艶めいた金糸がさらさらと揺れる度、ふわりと甘い香りが鼻孔を掠めて行く。
鼻先が触れ合うほど近くで見た美しい双眸は、黄昏時の紺碧と斜陽の双方が織り交ざったような不思議な色をしていて。
しゃらん…。と小さな音を立てながら戯れのように近づいては、またすぐに風馬から離れていく。
寄せては返す波のようにするりと流れるその煌きに触れてみたくて、風馬はそっと手を伸ばした。
「待……っ…」
気がつくと、まだ陽の上りきらない薄明るい中で風馬の腕は天井に向かい虚しく空を掴んでいた。
夢と現の境界をふらふらしていたせいなのか、直前までの記憶が嫌に鮮明に脳裏に焼き付いている。
掴んだ掌の頼りない虚無感を確かめてあれは現実ではなかったのだと思い至った途端、風馬は安堵とほんの少しの喪失感に息を吐いた。
「なんだ…夢、か……」
昨夜の寝苦しさは嘘のように一変、ひんやりとした冷気が覆う窓の外からは小鳥の囀りが聞こえている。
少し冷たい早朝の空気は眠気覚ましに丁度良い。
早起きは三文の得と言うし、久しぶりに良い夢を見れたこともあって気分はすっきりとしていた。
それにしても肌寒い。
まだ梅雨明け前で夏には程遠いとは言え、子供のように腹を出して寝ていたわけでもないのに腰のあたりがスースしている。
何となく気になって腹部に手を伸ばしたところで、風馬は驚きのあまり飛び上がりそうになった。
「…って、うわあ!!」
情けない叫び声を上げながら慌てて布団を引っ剥がす。
ズボンが…しかも下着ごと、元々あるべき位置から離れたところにまでずり落ちていたのだ。
たかだか数センチ違うだけで本来の機能から考えればそれはもう何の意味も成さない位置である。
「…な、なんで……??」
とりあえずズボンと下着を引っ張り上げて身を起こした風馬の視界を更に驚くべき光景が襲った。
「だ…誰?」
風馬と同じ布団で、見たこともない子供が背中を丸めて気持ち良さそうにすぅすぅと寝息を立てているのだ。
その子供は白い小袖に目の覚めるような緋袴を履いていた。
神社などで巫女が着ているような…まさしくあの出で立ちである。
どうすることも出来ず固まっていた風馬の気配に気づいたのか、子供が小さく寝返りを打つ。
「ん……」
身じろぎと同時に、髪飾りに付いている鈴がしゃらん…と小さな音を立てた。
鈴の音を切掛に金色の睫毛がふるりと揺れる。
ゆっくりと現れた宝石のように輝く大きな瞳が捉えたのは、自分を覗き込むようにしていた風馬の姿だった。
「……おお、起きたのだな風馬」
「えっ?…な、…なんで俺の名前を…」
動揺する風馬を余所にその子供は欠伸をしながら「ん~っ」と背筋を伸ばすと、神秘的な色をした目を瞬かせて風馬の顔を見上げた。
「なんでって……貴様昨日のことを覚えておらんのか」
「え…昨日?」
子供らしからぬ口調のそれに問い掛けられたものの、身に覚えがない。
考え込む風馬を見て子供は「あぁ」と声を漏らした。
「そうか貴様寝ていたな。…まぁ良い。昨夜のこと、一応礼を言っておこう」
子供は一人で勝手に自己解決したようで風馬の思考はおいてけぼりだ。
ぺらぺらと良く喋る子供の剣幕に押され、ただ瞬きを繰り返す風馬に子供は突然人が変わったような妖艶な笑みを浮かべた。
「…しかし随分としてなかったのか、貴様のは思いの外濃くて美味かったぞ。あれではさぞや気持ち良かっただろう?…お陰でオレも少し力が戻ったが…まぁ、会話が出来るようになっただけでもよしとしてやる」
小さな口が満足げに弧を描く。だが風馬は瞬間背筋が凍りついた。
直接的な表現は何一つしていないが…もしかすると下半身の奇妙な状態は目の前の子供が関わっているのではないだろうか。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「なんだ今更。飲んでしまったものを返せと言われても今さら返せんぞ。疲労感はあるだろうが、貴様も気持ち良くしてやったではないか」
「飲んだ…!?」
年端も行かぬ子供が目の前で淡々と子供らしからぬ単語を連発する異様な状況に風馬は目眩を覚えた。
最悪だ、よく覚えていないがどうやら自分は無意識の内にこんないたいけな子供と関係を持ってしまったらしい。
どうしたわけか子供に主導権を握られていたような口ぶりだが、目の前にいる姿はとても成人とは思えない。ことに及んでしまった時点で完全にアウトである。
「俺はなんてことをしてしまったんだ…」
「反応の面白いやつだな。気に入ったぞ」
打ちひしがれる風馬の様子が珍しかったのか、金髪の子供はにたにたと性質の悪い…それでいて見かけによらぬ艶やかな笑みを浮かべている。
「そう言えば昨日社に来ていたな。何か願いがあるならオレが手を貸してやらんこともないぞ?」
「え?……社、…願い…?」
何のことだか思い当たらず、風馬は目の前で誇らしげにふんぞり返る子供を見下ろした。
昨日と言ったが俺は昨日こんな子供に会った覚えはない。
金髪に紫の瞳なんて目立つ風貌の知り合いがいたら直ぐに思い出しているはずだ。
だが先程の物言いからすると、向こうは風馬のことを知っているようだった。
罪悪感から無意識の内に視線を反らしていた子供の様子をちらりと窺う。
子供ながらもキラキラと金色に輝く美しい髪の毛。
整えたかのようにさらりと後ろに流された髪の流れの中でも一際目立つ大きな三角形の耳は、時折ぴくんと音を拾うかのように揺れている。
……み、耳!?
風馬は見間違いかと起き抜けの眼を擦った。
確かに耳だった。ぴんと立った三角のそれに見覚えがあると思い出していると、朱色と白色のよく見る巫女姿に身を包んだその背後にふさふさとした黄金色の大きな何かが楽しげに揺れていた。
それは、どう見ても狐の尻尾で。
振り返って見れば唯一室内に存在した風馬以外のものの姿はなく、昨日設えた寝床は藻抜けの殻である。
まさかと信じられない面持ちで風馬は口を開いた。
「……まさかとは思うけど、昨日の狐…?」
「狐ではない。稲荷だ!」
ふん!と腰に手をあて威張る姿はなんだか可愛らしい。
こんな時に不謹慎だろうが、風馬は少し和んでしまった。
稲荷神社というのは名前の通り稲荷神を祀っている神社である。
狐ではなく稲荷だと言うからには、相当位の高い神様なのだろう。なんたって神社の名前になっているくらいだ。
そう考えれば、どこか人を見下したような子供らしからぬ尊大な態度にも納得が行く。
「えーと、稲荷ってことはもしかして、神様…とか…?」
「もしかしてとは何だ!……まあいい…。お前には助けて貰った借りもあるし、今回だけ特別に許してやろう」
なかなかに喜怒哀楽の激しい神様である。口は悪いが根は正直なようだ。
先程の感じから推察するに、目の前の神様はかなり気まぐれなようである。
外見年齢は10歳にも満たない子供にしか見えないものの、もしかすると精神的にも似たような物なのだろうかと、声には出さずそんな考えがよぎる。
実際口に出すなどという愚行に走る風馬ではなかった。
「オレはジャックだ」
ジャック…。身形は完全に和装なのになんだかえらく洋風な名前だ。
「ジャックか。俺は風馬……って、もう知ってるんだっけな」
目が覚めてすぐにジャックが言っていた、「昨夜」のことを風馬は覚えていない。
それでも記憶に無いだけで恐らくジャックの言葉は真実であろうことも何となく理解できた。
明け方に見た不思議な夢のことも、それで説明がつくかもしれない。
ジャックの金色の髪の毛と、しゃらん。と鳴るあの鈴の音には思い当たる節が山ほどあった。
待てよ…?
そうすると……どうなるんだ?
人間の子供だったら間違いなく風馬は晴れて犯罪者の仲間入りになること間違いなしだが、ジャックは人間ではない。
見た目はどう見てもコスプレした小さな子供ではあるが、神様だ。
もちろん神様相手なら何をしても良いというわけではないのではあるが…。
風馬は頭を抱えた。
「なんだ、まだ悩んでおるのか」
「え」
ぎくり、と風馬は硬直した。
「…も、もしかして頭で考えたことが分かったりするの…?」
だらだらと嫌な汗が流れる。
青ざめていく風馬を一瞥して、ジャックはふぅ、と溜め息を吐いた。
「そんな馬鹿なことがあるものか。貴様の顔を見れば嫌でもわかる」
いくら神様とは言え、そう簡単に頭の中のことまで覗けてたまるか。と言った様子でジャックはうんざりとしているようだ。
神社へお参りに来た人間の煩悩が四六時中聞こえていては安らぐ暇がないだろう!と話すジャックに、それが神様の仕事じゃないのかとは怖くて言えない雰囲気である。
「言っておくが、アレはオレにとって食事みたいなものだ。お前がそこまで気に病むようなことではない」
それもあんまりな言われようである。
「そもそもオレは神様なのだぞ。人間が神に奉仕するのは当然だろう」
「…奉仕…」
そう言って貰えると風馬にとっては有難かったものの、何故だろう。
風馬は自分の中で大事なものが傷ついた気がして微妙な気持ちになった。
さり気なく話題を変更することにしよう。幸いにも、聞きたいことは山積みだ。
「あ、そうだ…!昨日の傷は大丈夫か?」
「あぁ…これか?」
ジャックは袖を捲ると、昨日の夜風馬が包帯を巻いた箇所を見せた。
丁寧に巻かれた白い包帯をしゅるしゅると解いていく。
包帯を取り去ると、その下からはまるで何事もなかったかのように綺麗な白い腕が現れた。
「傷跡が…無くなってる…」
「当然だ。力さえあればこの程度のこと造作もないわ」
神様だとは聞いていたものの、まだどこか半信半疑だった風馬はその力をまざまざと見せつけられて素直に感動した。
「まだこんなに小さいのに、凄いんだなジャックは」
「な…っ、小さいのには余計だ!こう見えてもオレはお前よりもずっと年上なのだからな!凄いに決まっている!」
威張ってはいても何だかんだで賞賛の言葉に素直に喜ぶジャックの様子はどこか微笑ましい。
年上だと言われたところで、ジャックの見た目は完全に小さな子供のそれなのだから仕方がないと思う。
もしかすると、神様なのだから本当に何百歳だったりするのかもしれない。
それでも風馬は年の離れた弟が出来たみたいで何だか少し嬉しくなった。
「う゛~…!その顔は信じておらん顔だな…っ。子供扱いしおって…!」
「ごめんごめん。ジャックが凄いってのはわかってるつもりだよ」
すっかり臍を曲げてしまったジャックの機嫌を取るように優しく頭を撫でながら、風馬はふと思い浮かんだ疑問を投げかけてみる。
「なあ。ジャックは昨日の稲荷神社の神様なんだよな?」
「ん?そうだぞ」
それがどうしたと言わんばかりにジャックは小首を傾げた。
「稲荷神社に神様がいないっていうのは不味いんじゃないのか?」
ギクリとジャックの身体が強張る。
やはり何か不都合があったのだろうと風馬は苦笑をもらした。
元々怪我をした狐を放っておけなかっただけで、治ったら居るべき場所へ送り届けるつもりだったのだ。
ジャックがその場所へ帰らなければいけないのなら尚更である。
「じゃあ稲荷神社まで送って行くよ」
そんな風馬と対照的に、ジャックはさっきまでの尊大な態度はどこへやら、顔を曇らせてそわそわと視線を彷徨わせていた。
「ジャック…?」
「どうしよう…オレは、あそこから離れるなと言われていたんだった…」
風馬が考えていた以上に事態は深刻だったらしく、その事実がよほどショックだったのだろう。
すっかり萎縮してぺたりとしたジャックの耳が目に留まり、風馬は見るに堪えなくなって気がついた時にはジャックの小さい身体を抱きしめていた。
「か、風馬…?」
「……ごめんなジャック、俺が考えなしにこんなところへ連れて来たから…」
「な、何を言うのだ!お前はオレを助けてくれたではないか。お前のせいではない」
風馬の胸板に顔を埋める形になり、ジャックは酷く狼狽した。
気恥ずかしいようなくすぐったいような。でもどこか満たされるような感覚にぎゅっと風馬の服を握り締める。
「大丈夫だ。事情を説明して謝れば……きっと、許してくれる」
「本当に…?」
「信用できる奴だ」
「わかった。その時は俺からも説明させてくれ」
宥めるようにぽんぽんと背中を叩くと「子ども扱いするな!」と怒られたがそんなことで風馬が怯むはずも無く、ジャックは諦めたのか大人しく風馬のしたいようにさせていた。
艶の良い髪の毛を撫でる風馬の大きな手の温もりが心地良い。
ジャックがすっかり落ち着いたのを確認したところで、風馬は昨日ろくに食べていなかったことを思い出した。
「…と、その前に。ちゃんと朝飯食べないとな」
「おぉ!丁度オレも腹が減っていたところなのだ!」
よっぽどお腹が空いているのだろう。ジャックは見事な金色の尻尾をはたはたと揺らしながら、きらきらと期待に満ちた紫色の瞳を輝かせた。
何ともくるくると目まぐるしく表情の変わるお稲荷様である。
「昨日は何も食べさせてあげられなかったから、こうしてジャックと話が出来るようになって嬉しいよ」
正直言葉が通じるようになって誰よりも助かっているのは自分かもしれないな、と風馬は苦笑しながら冷蔵庫の扉を開いて──そして硬直した。
「どうしたのだ風馬?」
「いや…その…」
忘れていた。冷蔵庫の中には自炊出来そうな食材が殆ど無かったのだ。
唯一食べられそうなものと言えば、先日特売で箱買いした即席ラーメンのみという残念すぎる有様である。
自分のことながらあまりの不甲斐なさに項垂れていると、肩口からひょこりと覗き込んできたジャックが風馬の手の中にある物を指して尋ねた。
「風馬、その箱はなんだ?」
「え、これ?カップラーメンだけど」
予想はしていたものの、やはりこういうものに馴染みがないのだろうか。
興味深げに眺めてくるジャックにカップ麺を一つ手渡してみる。
ジャックは容器を隅々まで調べた結果……やはりそれが何かは分からなかったようだ。
「…この箱を食べるのか?…匂いも変だし固いし、あまり美味く無さそうだぞ」
「あ、いや。これは……」
そう言って風馬はカップ麺の蓋をペリペリと剥がし、キッチンにあるポットの湯を注ぎ始めた。
「こうやってお湯を入れて…。3分待つと食べられるんだ」
湯気の立ち上るカップの蓋を閉め、その上に箸を置いて重しにする。
カップラーメンの容器をテーブルに置くと、風馬はジャックに席に着くよう勧めた。
言われるままにテーブルに着いたジャックの丁度目の前に先程の容器が置いてある。
ジャックは頬杖をつきながら、薄い湯気を立ち上らせるそれを退屈そうに眺めていた。
「なにやら面倒な食べ物だな、カップラーメンというのは」
「そんなことないぜ?」
ジャックの不満は想定内だったのか、風馬はにこにこと笑みを浮かべたまま言った。
「時間が無い時とか、何も無い時なんかはこうやってお湯を注いで待ってれば簡単に食べられるんだし」
「……時間がないのに3分も待たねばならんのか?」
もう一つ自分の分を用意した風馬もジャックと向かい合うようにテーブルに着いた。
「まぁ、3分位ならあっという間だしな」
麺が伸びすぎないようにタイマーをセットし終えると、風馬は目の前の不貞腐れた小さな神様が退屈で癇癪を起こさないうちに話題を振った。
「ところで、どうしてあんなところで倒れていたんだ?」
ヒクン、とジャックの肩が跳ねる。
「…話すと長いんだが……」
「うん?」
「オレの魂とも呼べる大事なしもべが、いなくなってしまったのだ」
感情が耳に現れやすいのだろう。しゅんとした耳を見ただけでも相当落ち込んでいるのが伝わってきた。
強がってはいるが、ともすれば今にも泣き出してしまいそうなジャックに風馬は胸が痛む。
話によるとジャックは本来の強大な力を数十枚のカードとして封じ、力を分散させているらしい。
その中でも力の大部分を有しているのが、いなくなったという赤い龍のカード。
龍の姿が見えるのはジャックのように力のある者だけで、傍目に見るとただのカードにしか見えないと言うのだ。
実際に今手持ちのカードを見せてもらったが、やはりジャックの言うように風馬には何の変哲もないカードにしか見えない物だった。
「レッドデーモンズ……」
ぽつりとジャックが呟く。恐らくはそのカードの名前なのだろう。
単に力を封じたものというだけではなく、それぞれが姿形の異なる式神のようなものらしかった。
「いなくなったのに気づいて探しているうちに雨が降って来て、動けなくなってからは……知っての通りだ」
「そうか…。俺が見つけるまでジャックが神社の敷地から出ていないとなると、絶対あの周りにあるはずだよな。大丈夫、必ず見つかるさ」
「そう、だな…うむ。風馬の言う通りだな!」
風馬なりにジャックのことを心配して掛けてくれた言葉なのだと言うことは、短い付き合いだがジャックにもわかる。
本当ならばいくら力を失って狐の姿にまで退化してしまったとしても人間に姿を見られるべきではなかったのだ。
ましてやあの雨の中、見ず知らずの人間が差し伸べた手に縋るなど。いつものジャックであればまず考えられない。
神域から離れてはいけない。そんな初歩的な掟さえ忘れてしまうほどに、風馬という人間に興味を引かれたのは疑いようが無かった。
風馬が連れ出したのではない。ジャックが自ら望んで社を離れた。それだけのことだ。
ただ一つ気がかりなのはレッドデーモンズドラゴンのこと。
ジャックのしもべであり、ジャック自身とも言えるカードの行方だけが、今になってジャックに後悔という言葉を突きつけていた。
ピピピ。と鳴り響くアラームを止めると、風馬はジャックと自分のカップの蓋を剥がし取る。
「もう良いのか?」
「ああ。だけど、熱いから気をつけてな」
蓋が剥がされると、熱い蒸気がふわりと周囲に舞った。
熱気と共に漂ってきた食欲をそそる匂いに、ジャックの耳がぴくんと震える。
「な、…なんなのだ、この美味そうな匂いは……!」
「だから言っただろ?簡単なのにこれが結構美味いんだぜ」
いただきます…と言いかけたところで、風馬は「あ。」と声を出した。
「もしかしてフォークの方が良かったかな」
扱い慣れない2本の棒と格闘するジャックが目に止まり、風馬は「ちょっと待ってて」と引き出しからフォークを取ってきてジャックに渡した。
「ぐ…っ…別に、箸が使えないわけじゃないんだぞ!…ただ、その…体が小さくなってて上手く動かせないのだ…!」
「大丈夫、わかってるよ。今日のところはそれを使うと良い。熱いから火傷しないようにな?ふーふーするんだぞ?」
「…う、うるさい…!放っておけっ」
あれこれ反抗するくせに、結局風馬の言った通りふーふーと息を吹きかけるジャックはやっぱり可愛い弟に思えてしまう。
ジャックが麺を口にするのを待って、風馬は声を掛けた。
「どう?美味しい?」
「…………」
ぴたりとフォークを持ったジャックの腕が止まった。
ぷるぷると小刻みに震え始めたジャックにぎょっとして顔を覗き込んだ風馬の予想は、しかし大きく裏切られることになる。
「美味い…!お揚げの次に…いや、お揚げと同じくらい美味いぞ風馬!」
よっぽど気に入ったのか、夢中になって食べているジャックを見ているだけで風馬の顔も自然と綻ぶ。
やはりジャックには笑った顔が良く似合う。
これを食べ終えたら、直ぐにでもジャックと神社に向かおう。
昨日の大雨が嘘のように、今日は朝からすっきりとした晴天の気配に包まれていた。
開いた窓から流れこんでくる爽やかな風には、昨日までのようなじっとりとした湿度は感じられない。
梅雨が明けて夏が訪れるのもそう遠い日のことではないかもしれない。
晴れ渡る夏空に思いを馳せながら、風馬は少しだけ冷めかけた麺を啜った。
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